2008-05-28

ノルウェーについて思うこと(その1)

2ヶ月程生活してこの国の良い所と悪い所がだんだん見えてきた。良い所は人々が自然を愛し、家族を大事にし、ゆったりと暮らしている所。ノルウェー人の多くは裕福だと思う。給料から税金で30〜40%持っていかれ、さらにあらゆる商品に13〜25%の付加価値税が課せられていても暮らしていけるのは給料がその分多く支払われているからだ。さりとても仕事が厳しいようには思えず3〜4時には仕事を終えて家族の元に帰ってしまう。実際研究所の事務室も3時には閉まるので驚きだ。若い日本人の多くが会社で遅くまで働かされ、給料もギリギリで暮らしている事を思うと、非常に恵まれていると思う。

悪い所は仕事に対しての誠実さがもうひとつ感じられない所だ。この前の郵便受けの間違いの件で責任の所在について宿舎の窓口の人に尋ねたときも、自分のミスではないことを殊更に強調するだけで、組織全体としての責任、システムの欠陥には考えが及ばない。銀行も顧客へのサービスに問題がある。カードを送付しそれが戻ってきても、連絡を寄越さない。様々な案内もノルウェー語のみだ。日本に較べ社会の中に競争が少ない分、サービスの質が低く感じる。社会保障が充実しているから、将来に不安を感じる必要が無く、それが仕事に対してのモチベーションを下げているのかもしれない。

ノルウェーの豊かな暮らしは、自国の産出する原油輸出の利益からもたらされている。原油輸出国の中では、サウジアラビア、ロシアに次ぐ3番目の大国だ。原油を売って得た利益で国の経済が潤い、EUに加盟せず独自の通貨を用いることで他のヨーロッパ諸国との競争を避け、豊かな暮らしを維持している。今の原油高ではしばらくはノルウェーの通貨クローネが力を増すだろう。もしこの先この国の石油が枯渇したらどうなるのか?実は石油基金というものがあるらしい。原油売上による収益は将来の石油・天然ガスの枯渇に備えて、次世代の為に「政府年金基金」として積み立てられている。資金を運用し、それによって得られた利益を将来の年金基金として蓄えている。日本のように資源を持たない国にとっては羨ましい限りだ。ノルウェーはあと50年は原油を産出することを目標に掲げているが、その後どのような道をたどるかは、ノルウェーの人々の頑張り次第だと思う。

2008-05-26

銀行カード到着

やっと待ちに待っていた銀行カードが到着した。先日も述べたとおり、郵便受けの表札が間違っていたおかげで、長らく待たされた。これでカード社会の一員に仲間入りすることができる。学内で買い物する時にはレジにカードリーダーがあり、そこを通して暗証番号を入力するだけで買い物できるようになっている。早速手に入れたカードを使ってスーパーで4000円分の食材を購入してみた。始めて暗証番号を入力する時少し緊張したがすんなり受け付けてもらい一安心(^^)。

銀行カードは到着したがActivkortという計算機の小っさい奴がまだ送られてこない。それがないとインターネット上のアカウント(net bank)にアクセスすることが出来ない。ネットから振り込む方が銀行の窓口で振り込むより手数料が安いと聞いたので、まだ4月分と5月分の家賃を支払っていない。Activkortが到着次第家賃を納めようと思っていたが、宿舎から督促がくると「お知らせ料」なるものが発生し、手数料と同じくらいかかるらしい。面倒くさいのでActivkortの到着を待たずに明日家賃を払ってしまうことにする。郵便受けの表札騒動もようやく収束してきた。

2008-05-22

アーベル講演

今日は10時からアーベル講演。オスロ大学のBlindernキャンパスにある図書館の大ホールが会場である。昨日の授賞式もそうだったが、なんとなくワクワクした雰囲気である。10時前に会場に到着すると、良く知った顔ぶれもチラホラ見えて会場が正しい事がわかり、ホッとした。入り口近くではプログラムや、記念書籍、Tシャツを配布していたので、私も記念に「アーベル本」(後述)とTシャツを頂いた。

10時にEllingsrud教授(現オスロ大学長)の挨拶で始まり、まずはThompson教授の講演。コーヒーブレークを挟んでTits教授が講演した。Thompson教授はお元気だが、Tits教授は年齢と病気の影響が垣間見え、何度か同じ話が繰り返されたり、話が中断したりする場面もあった。しかし講演終了時は両教授に惜しみなく暖かい拍手が送られ、とても良い雰囲気であった。午後からは両教授の仕事に関係のある講演が二つあったが、話の上手い方々で、私のような門外漢にも研究の雰囲気が伝わるように丁寧に準備されていた。

記念講演の後、夕方からはノルウェー科学文学アカデミーにおいて晩餐会(ディナー)が開かれた。招待客のみが参加できるようだったが、R先生のおかげで私も特別に参加させていただく。ノルウェー科学文学アカデミーはNational Theatretまで地下鉄で出て、そのあとトラム(路面電車)に乗ってSkarpsnoで降りる。会場に行く途中パーティーの参加者に何人か会ったが、みなスーツやドレスなどの正装だった。私ももしスーツを持っていれば着たのだけど持ち合わせていないから仕方がない。外国人なので服装は大目に見てもらおう。会場は、中世の貴族の屋敷みたいに豪華な建物だった。食事は立食形式だったので、いろんな人と会話を楽しみながら食事をできれば良かったのだけど、ノルウェー語が話せないために少し寂しい思いをした。その代わりR先生の学生であるドイツ人の女子学生とずっと会話していたように思う。夜10時を過ぎてもまだ辺りは明るく、なかなかディナーが終わる気配が無かったので、電車の時間もあるし、適当な時間で失礼した。

帰ってから今日の記念品を整理。その中のアーベルの生涯をつづった本。中には彼の自筆原稿のコピー(写真)が三篇納められている。クレレジャーナルに掲載された論文でフランス語で書かれていた。ざっと眺めたが何やら楕円関数に関する数式と思われるものが多く記述してある。アーベルの手書き論文はノルウェーに戻らず、多くは失われてしまった。クレレもアーベルの論文を売ってしまった。スウェーデンのMittag-Leffler研究所に残っていた原稿をノルウェーが近年譲り受け、本が創刊されたとの説明がある。アーベルの論文があまり残っていないのは、彼が生前正当な評価をされなかったからか?彼は生涯常勤の職を得ることができなかった。期待を込めて投稿したパリの論文に対し何の連絡も無く、紛失してしまったと信じ込み、その後結核にかかり若くしてこの世を去ってしまった。不遇にも程がある。心血を注ぎ書いた論文が紛失してしまったと確信したその衝撃は如何ほどのものであったか?想像するだけで胸が痛ましい。

2008-05-20

アーベル賞授賞式

アーベル賞受賞記念式典に行ってきた。つい先日まで記念講演だけいくつもりだったが、昨日のセミナーの後にR先生から、一緒にどうかとのお誘いを受け急遽行くことに決定。お昼過ぎに研究所で待ち合わせ、他の方達と一緒に街の中心にあるオスロ大学(Karl Johansキャンパス)に向かう。オスロ大学の元々のキャンパスはこちらだったが、現在ほとんどの学部はBlindernキャンパスに移っており、残っているのは法学部だけである。快晴で式典にはもってこいの天気。式典はアウラ(Aula)講堂で行われる。この講堂では以前はノーベル平和賞の授賞式も行われていた。ムンクの壁画があることで有名である。13時半前に着いたが、講堂の前には早くも大勢の人々が集まっていた。写真を取ったりしていると横から不意に呼びかけられる。誰かと思って振り向くとなんとK先生だった。約半月ぶりにお会いすることが出来たので感激。アーベル賞授賞式は数学者のお祭りみたいなものなので、ノルウェー各地から大勢の数学者が集まる。普段なかなか会えない方々が会って旧交を温め会う場所としての役割もあるようだ。講堂の前には小さな楽団が。今日はノルウェー国王も来るのでその関係で準備しているものと思われる。14時前に講堂に入るよう促される。式典の方には参加登録してなかったので、講堂内に入れるかどうかギリギリまで不安だったが、R先生の後にくっついて入ったら何も咎められなかった。会場内は思った程広くなく、席はほぼ埋まっていたが、後ろの方の空いている席を探して座る。噂のムンクの壁画は3面に渡り堂々と描かれていて見応えがあった。14時を過ぎると急に会場が静かになり、国王の来場が近いことがわかった。音楽とともにヘラルド国王とソーニャ女王、その側近の方々が入場し、続いて今年の受賞者の入場。今年はThompson教授とTits教授にアーベル賞が送られる。お二方とも群論分野で著しい活躍をされた方達である。ノルウェー科学文学アカデミー代表による開会挨拶や委員会チェアマンによる挨拶はノルウェー語だったが、英訳されたものがプログラムに印刷されていた。その他にはノルウェーの音楽家達によるピアノ、ビオラ、声楽の演奏があった。この音楽演奏は年によってジャンルやアーティストが異なり、毎年参加者を楽しませているようだ。受賞者によるスピーチがあり、最初にThompson教授が行った。群論の発展の歴史を総括するようなスケールの大きいスピーチのようだったが、有限単純群の分野の専門用語が多すぎてほとんど理解出来なかった。所々でSuzukiと言っていたので鈴木通夫教授の貢献について触れていたのだと思う。日本人数学者の活躍が紹介されるのは嬉しい。Thompson教授のスピーチは長かったがTits教授のスピーチは短かった。最後にもう一度音楽の演奏があり、国王女王退場のあとお開きとなった。授賞式が終わっても、人々はなかなか会場を後にせず、この一同が一斉に集まる機会を利用し、旧交を温めているようだった。先生方も挨拶でお忙しそう。ふいにR先生から呼ばれ、Peskine教授に紹介して頂いた。想像していたより小柄な先生だった。明日は受賞者によるアーベル講演。オスロ大学Blindernキャンパス内の図書館で行われる。

Kringsjaの郵便事情

ここ一ヶ月程郵便物が届かない理由がようやく判明した。

以前も書いたが、私の宿舎Kringsja Studentbyには1500以上の世帯が暮らしており、メールボックスは全て一ヶ所に集められている。メールボックスは蜂の巣のような作りになっていて、表側は完全に閉じていて部屋番号のみが表示されており、鍵が無いと開けられない仕組みになっている。郵便屋は裏側から郵便物を放り込む。裏側は郵便屋がギリギリ通れるだけのクローズドな空間になっていて、一般の人は入ることが出来ない。一方ネームカード(表札にあたるもの)は裏側についており表からは通常は見ることが出来ない。

昨日自分のメールボックスの奥に無理やり手を突っ込んで、裏側のネームカードを引っ張り出してみた。すると自分の名前が書かれているはずのところになんと、全く知らない名前が手書きで記入してある!こちらに来てから私宛の郵便物が全く届かなかったのはこの為だったようだ。銀行から届けられるはずのカードもこれでは届くはずが無い。同じ廊下の友人達に書いてある名前について尋ねると、以前住んでいた人の名前であることが判明。この結末にかなり不満を感じたので、今日午前中は宿舎組合(SIO)のレセプションや郵便局(POSTEN)に行ってこの件について、誰が責任を持っているのか問い正したが、要領を得ない回答ばかりだった。組合側は、毎日新規入居者のリストを作って郵便局側に送り、郵便局側はそのリストを元にメールボックスのネームカードを取り替える仕組みらしい。私が入居した時に、私の名前がどこかの過程で伝わらなかったのだろう。郵便物の秘匿性も保ち、効率的にも思える方法だが、今回のような間違いには全く対応できない仕組みだ。私が郵便受けに手を突っ込まなければ、最悪帰国するまで全く気がつかなかった可能性だってある。私の宿舎に限らず、この国の郵便事情はあまり良くないようだ。転居届を出しても転居先に郵便物が届かなかったりする事が頻繁にあるらしい。日本もそんなに良いわけでは無いけど、まだノルウェーに比べたらましだ。

2008-05-17

憲法記念日

今日5月17日はノルウェー憲法記念日(ナショナルホリデー)である。ノルウェーの人々にとって特別な日で、その主たる行事として各地でパレードが行われる。日本とノルウェーの憲法記念日の違いのひとつは、こちらの記念日が子供たち中心に行われる点である。子供たちは各学校ごとに分かれ、母校の旗とブラスバンドを先頭に行進を行う。人々は民族衣装ブーナッド(Bunad)を身にまとい、ノルウェーの国旗を降りながら行進を沿道から見守る。オスロの場合はカールヨハン通り沿いで盛大に行われる。数週間前からこの日はパレードを見に行くように、間違っても研究所にこもったりしないようにとアドバイスを受けていたので、朝から宿舎の友人たちと一緒にダウンタウンに出かけた。

ここ数日気温がぐっと下がり、まるで冬に戻ったかのようである。数週間前が暖かかっただけに余計に寒く感じる。今朝起きると5月の半ばだというのになんと雪が降っていた!せっかくの記念日だというのに生憎である。朝食を友人たちと一緒に取り、午前9時過ぎに地下鉄に乗ってNationaltheatretで降りた。ちょうどオスロ大学の前辺りに出てパレードがくるのを今か今かと待っていた。雪は雨に代わったが相変わらず降り続けている。沿道には早くも人の壁が出来ていて、中々前の方に出る事が出来ない。パレードを見る楽しみの一つは、人々の民族衣装ブーナッドである。この民族衣装が実に色とりどりで華やかだ。衣装は人々の出身地域ごとに異なる為に実に様々である。同地域の出身の人は同じ衣装を着る。ノルウェー人のLineが以前言っていたが、慣れた人なら衣装を見るだけでどの地域の出身かがわかるらしい。

しばらく待っているとバイオリンの音が聞こえてきた。見ると馬車を先頭にダンスの集団がやってくる。その後に50人ほどの兵隊による行進があり、一糸乱れぬ統率の取れた動きをしていた。続いていよいよ子供たちによるパレードが始まった。各学校の旗は様々で、記号と学校名だけのシンプルなものから色とりどりの刺繍を施した美しいものまであった。ブラスバンドの衣装も鮮やかで学校ごとに独自のものだった。雨と寒さを凌ぐ為に上からビニールやコートを来ていたグループもあったが、もし天気が良かったなら青空の下さぞかし衣装も映えたに違いない。沿道の人々はノルウェーの国旗を振って、口々に「ピ・ピ・ピ。フラ!フラ!...」と囃し立てて場を盛り上げとても賑やかだ。パレードは何十校にも及び、いつ終わるとも知れず通りのはるか向こうまで延々と続く。写真を取ったり、ブラスバンドの演奏を聞いたりしながら一時間程パレードを見学したが、さすがに体が冷えてきてだんだん辛くなってきた。朝来る前にネットで調べたオスロの気温は1℃だった。片手で傘を持ちもう片方の手でカメラを持っていたが、手も悴んで来てうまくシャッターがきれない。一緒に来た友人達も次々に帰宅し、残ったのは私とチン・ホァだけとなった。彼女も寒さを堪えて、ビデオカメラでパレードの様子を撮影していた。パレードを十分楽しみ、写真も多く取ったと感じたので、最後に民族衣装を来た方と一緒に記念撮影をしてから昼前に帰宅した。

2008-05-16

日本食と銀行カード

そろそろ日本食が恋しくなってきた。ノルウェーの日本大使館にメールを出して日本食が購入できるお店を教えてもらった。Majorstuenの近くのJapan Torgetというお店だ。いく前に資金調達の為に銀行に寄る。

4月25日の銀行口座開設以来、こちらで支給される奨学金がようやく使えるようになった。しかしまだ手元にカードが無く、いちいち銀行まで行って現金を降ろしている。北欧(というかヨーロッパどこでも?)はカード社会だから現金無くても生活できそうだが、学内では日本から持ってきたクレジットカード(Visa)が使えない(銀行のカードなら学内で使用できる)。その為に銀行カード到着を今か今かと待っているが、いっこうに届く気配がない。インターネット上のアカウントの為の手続きに必要なカードも一緒に届く予定なのだが、その為にまだ家賃の支払いが出来ない。口座開設時に10日〜2週間でカードが届くと聞いたので、今日はそのことについても聞いてみるつもりだったが、問い合わせてみて驚いた。カードを私の宿舎の住所に送ったが本人のメールボックスである確認が取れなかったので、差出人である銀行に戻っているという。私の学生宿舎は超大型でシングルの部屋数だけでも1500近くある。郵便受けもコンナノが何十にも連なっているために、誤配が起こりやすい。本人確認が取れない場合は、郵便物の性質上慎重になるのは当然だ。しかしなぜ顧客(私)に連絡してくれないのだろう?D-numberの一件といい今回の件といい、まったく....銀行への不信感がさらに強まった。それで解決策はというと、このまま再び同じ住所に送っても同じ結果になるだけなので、配達先を変えてもらうことにした。これですぐにカードが届くのかと思いきや、また一からやり直しになる為に手元に届くまでさらに10日〜2週間を要するという。不便な現金生活をもう少し続ける以外になさそうだ。

銀行を出てJapan Torgetへ。歩く方角を誤り、ちょっと道に迷ったがそのおかげで11時の開店にちょうどタイミング良く入ることが出来た。品揃えの多さにびっくり。大抵のものはここで揃うだろう。しかし値段が高い(^^)。ノルウェーの物価が一般に高い(ざっと日本の数倍)ことを考えれば、致し方ないかもしれない。米2kg, 焼きそば、すし酢、みりん、炒りごま、いなり寿司のおあげ(缶詰めと冷凍の2タイプ)、海苔、わさびを購入してお値段352Kr(約7040円)になった。こちらにきてから醤油はすぐに見つかったが、みりんが無かったので煮魚など調理しているときに物足りなく感じていた。これでその不満も無くなるし、煮物ができるようになるので、食生活も充実するだろう。米はNISHIKIというブランドで1kgで32Kr(約640円)。日本と比べてもそれほど高く無い。帰宅して早速酢飯を作り、海苔を巻いて食べてみた。こちらに来てからずっとジャスミンライスばっかりだったので、日本米の旨さに感動し、余韻に浸る(^^)。

2008-05-15

日本語環境設定

パソコンは日本から持ってきたラップトップを使用している。こちらに来る前に良く使う論文やノートは全てパソコンに入れ、一応どこでも研究が出きるように準備してきた。到着後もすぐに日本語でメールを読み書きし、必要な情報を取得できた。パソコンのおかげで海外での生活や研究は大変便利になった訳だが、逆に一台しかないこのパソコンが壊れると一巻の終わりとも言える。家でも大学でもフルに使うので常にリュックに入れて持ち運んでいるが、通勤中背中が重くてしょうがない。研究室にはLinux box (Red Hat Linux Ver.8)があるが日本語環境が整っていない為に使っていなかった。最初からブラウザで日本語が読めているので少なくとも日本語フォントは入っているようだし、ちょっと設定すれば案外使えるかもしれない。

rpmによるインストールができれば簡単だけど、管理者権限が無いためにすべてtarボールから展開してお決まりのmake, make installの手順を踏む。(以前計算機管理者の方に「日本語読み書きしたいんですけど...」ってそれとなく聞いてみたが、時間があれば対応します的な返事が帰って来た。)まずはemacs上で日本語の読み書きが出来るようにanthyのインストールを試す。configureスクリプトでprefixをホームに指定するだけですんなり入った。これなら案外簡単かもしれない。続けてMew, Yatex, Adobe Reader(日本語版)などを入れ、メール、TeX、日本語pdfの印刷などができるようになった。これまで日本語pdfの印刷は自マシンで一旦postscriptに変換→大学のサーバに転送→印刷というめんどくさい手順を踏んでいたのでこれで少し楽になる。Mewもオスロ大学のimapサーバーから取得できるように設定。日本語rxvt, 日本語less, ebviewなども入れ快適になった。最後にuim-anthyでハマった。configureスクリプトを普通に走らせてもanthyの存在を認識してくれない。LIBS, INCLUDES, CPPFLAGSなどの環境変数を指定してから走らせれば良いという情報をネットから得てなんとかanthyを認識してもらう。makeも無事通ってuim-toolbar-gtk-systrayが起動し、anthyがメニューに現れ喜んだのも束の間、なんと選択する事ができない!anthyがうまく入っていないのかと思ってuim-primeも試したがやはり選択できず。.xsessionの設定も出来ているし何が悪いのかさっぱり分からない。ブラウザ上での日本語入力が出来ないので不便。rsyncで自マシン(debian)のデータを大学のマシンのものに同期できるようにしたし、これで明日から重いパソコンを持ち歩かずに済む(^^)。

2008-05-10

カヤックとオスロフィヨルド

Lineの教会で知り合ったTorさんのお誘いを受け、オスロフィヨルドでカヤックを経験した。カヤックは小さなカヌーで、両側に水かきの付いた櫂を用いて右左右左...と順に漕ぎ進む(puddle)。Torさんは私が教会を訪れる度に牧師さんの言葉を英語に通訳して下さる親切な方で、友達はできたのか?今週はどうやって過ごしたのか?と普段から気を配って頂いている。先週はオスロの海の案内を申し出て下さり、是非ともとガイドをお願いしたら早速その日の夕刻にメールが届いた。参考までにと添付してあった写真がコレである。ビックリ!!!自分はまったくカヌー経験が無く、水泳も得意ではないと伝えると、ライフジャケットと比較的安定なカヤックを用意するから心配ないとの返事が来た。それでも緊張しながら一週間をすごし、研究所の先生方に命の保証について尋ねてみたが、夏場のオスロ湾内でのpuddlingなら何も心配無いとの答えだった(研究所で階が一緒のSletsjoe先生はカヤックの国内チャンピオンだ)。Laudal先生からも勧めて頂く。

午前9時にKringsjaに車で迎えに来て頂いて、10時少し前に海岸に到着した。二人で共同しカヤックを車から下ろし、並べたところがコレ。黄色いプラスチック性のカヤックが私用で、隣の茶色く細いのが彼のである。彼のカヤックはなんと自作!もともとカヤックはグリーンランドやアラスカのイヌイット達が用いた狩猟用カヌーで機動性を重視した乗り物である。その分コクピットは人一人がギリギリ乗れる大きさになっており、両足を前に伸ばして座る(私のカヤックの前方の穴はただの荷物入れ)。私のカヤックは彼のに較べ安定かつ頑丈らしい。スカート(?)とライフジャケットを来てカヤックの前で記念撮影。カヤックにいよいよ乗る段になって、スカートの意味を理解する。コックピット部分に水がかからないよう広げて覆う役目になっていた。乗るのにも一苦労で彼から助けてもらいながら体重を船に移動する。櫂を見よう見まねで使いながら波止場から海に出た。天候にも恵まれ、海は穏やか。カヤックも思ったより安定している。海上に出てまず周囲の景色の素晴らしさに言葉を失った。まさに野鳥の宝庫で、所々に存在する切り立った岩礁の上ではカモメやその他水鳥が羽を休めたり巣で卵を温めたりしている。野鳥の楽園だ。沖に少し出てから、基本的な操縦方法を教わった。最初は両腕の力を使って漕いでいたがコレが間違い。両腕を前に突き出した状態で櫂を水面に平行に持つ。この形で腕を固定し、腰の回転の力を利用し漕ぐ方が疲労も少なくて済む。私のカヤックには足元に進路を調節する機能(舵)が付いていた。Torさんは私の約50〜100メートル前方を進み、間隔が開きすぎると止まって待っていてくれる。待たせるのも悪いので、必死に後を追いつこうとするが彼のカヌーは早くあっという間に間隔が開いてしまう。彼の漕ぎ方は力を抜いているように見えるので、たぶん私はどこか余分な所に力が入っているのだろう。出発から1時間ほど経過し彼が聞いた。前方500メートル程の島を示しながら「あの島まで行けるか?あそこまでいったら昼ご飯にしよう」。昼飯と聞いて元気が出て、力を振り絞り漕いでいると15分くらいで目的の島に到着した。周囲約2km程の小さな島。再び彼の助けを借りながら上陸し、ほっと一息つく。私のカヤックには小さな収納庫が付いており、彼の用意したサンドイッチとコーヒー、そしてフルーツが入っていた。食事の前に島の周囲をグルッと二人で回ってみた。季節も夏に入り様々な花が咲いていた。その内の数種は良い香りを放っていた。島には一軒の別荘と思しき住宅がある以外は、自然がそのまま残っており、すぐ横にも同じような島がいくつも並んでいる。食事をしながら会話を楽しんだ。食後彼から質問。「来た道をまっすぐ戻るか、それとも回り道をして帰るか?」昼食ですっかりリフレッシュし元気の出た私は、回り道を選択した。実はこの決断を後でかなり後悔する事になる。再びカヤックに乗り、船出。お昼を回った頃から海上にヨットや、クルーザーなどの小型ボートが目立ち始める。セーリングボートはまだいいが、モーターボートの通った後には波が出来て、私のカヤックが上下に激しく揺さぶられる。また彼らの船に衝突しないように進路にも気を配る必要がある。ぶつかったらとても勝ち目はない。沖に出た為波も高くなり、その影響で思った程前に進まなくなってきた。陸地が近いうちは船の進度を実感できたが遠いとそれも難しい。相方はというとそれらの影響を全く受けず、飄々と前を進んでいく。船の間隔がだいぶ開いてきたので、彼が協力して漕がないかと提案してきた。???。最初意味がわからなかったが、協力とは何のことはない、彼のカヤックと私のカヤックをロープでつなぎ、彼に引っ張ってもらうことだった(笑)。文字通りお荷物となってしまった私は、彼に申し訳ない思いだったが、ロープでつながっているだけでも安心感が得られた。岸に近くなってからロープを外し、陸沿いに進んだ。陸といっても砂浜ではない。氷で削り取られた崖、すなわちフィヨルド伝いに進むため、波打ち際で波が荒くなっており注意を要した。船酔いまで経験する始末。午後に出発してから2時間程経過したので、あとどのくらい漕ぐのか尋ねると「あと2時間ほどだ」と真面目な顔をして言う。思わず顔をひきつらせると彼は笑って15分くらいだと教えてくれた。その言葉に救われて、我慢しながら漕ぎつづけ、15時ごろにようやくスタート地点に戻って来た。午前中の分も合わせるとトータルで5時間、距離にして約10キロほど。初めてにしてはかなりの長旅だ。長時間の運動で腕が疲弊し、カヤックを車の上にのせるのにも一苦労。彼のこの後の予定を聞くと、市の陸上競技会に出るという。鉄人のような男だ。自分が軟弱なだけかもしれないけども。でも家に帰ってLineの話を聞いて納得した。彼はカヤックでスウェーデンまで旅した事があるらしい。ちなみに彼一人ならばゆっくり漕いだとしても5時間で30キロは進むようだ。唖然。

2008-05-08

初夏

こちらもすっかり暖かくなり、屋外でもTシャツ一枚で十分なほどの陽気である。オスロ大学のキャンパス内の景色もすっかり変わって、緑に満ちあふれている。同じ場所で撮影した2枚の写真を見較べてほしい。昨日撮ったもの(上)は1ヶ月前のもの(下)に較べ、生き生きしていることがわかると思う。学生達も日中は屋外に出て読書したり、仲間と話したりしている。こう天気が良いとついつい散歩に出たくなるが、いろいろとやるべき事が多いのでそうも言ってられない。

2008-05-05

セミナー

今日は月曜なので代数・代○幾○学セミナーに出席。英語による講演だった上、丁寧な解説記事まで配って頂いた為にわかりやすかった。セミナー後にLaudal先生に質問し、Massey積や局所モジュライの構成の仕方について、解説して頂いた。私が現在お借りしている先生のオフィスで、机の前に椅子を二つ並べ、定義からゆっくりと丁寧に教えて頂いた。私がお話したかった事はまだ他にあるけど、また別の機会にお尋ねしよう。とにかく勉強になった一日。

2008-05-04

教会

私の研究では"あるもの"が消えたり消えなかったりが非常に重要になる。代○幾○学ではたいてい消える方が物事がシンプルになるので有り難がられる。わたしの研究ではこれが全く逆だ。つまり消えない方が有難い。消えないことを示す為に、まるで綱渡りのような計算をする。全ての方向で"あるもの"が消えてしまうと次のステップに進むしかない。いずれかのステップで消えないことがわかれば良いのだが、それはまるで暗闇を手探りで進む感覚に似ている。想像力をたくましくして消えない方向を探すのだが、かなりマニアックな世界かもしれない!?

朝10時過ぎに家を出てLineの教会に出席する。前回参加したのはちょうど2週間前で今回は2回目の参加。教会は毎週日曜午前11時から開かれる。牧師さんは以前ご家族で神戸三宮に住んでおられたこともありとても親日的な方。今回も前回と同様に大歓迎を受けた。いつでも好きな時に来なさいと仰って頂いている。参加する度に英語に翻訳をして下さる方がおられ、その方の同時通訳(!)のおかげで私にも牧師さんのお説教の内容が理解できる。お勤めのあとはコーヒーとケーキが用意され、実はこのお茶の時間がとても楽しい。この時間のおかげで知り合いが少しずつ増えている。来週は「confirmation」という儀式が行われる。生まれてまもなく洗礼を受けた子供が15歳になってから、自らの意志でキリスト教を続ける事を確認する儀式だ。私も誘われていて、見学させて頂く予定である。

教会の後、一緒に参加した女の子達と一緒にオペラハウスを見に行った。洗練されたデザインの建築物で4月に完成したばかり。実にユニークな作りになっていて、屋根の上を人々が散歩できるようになっている。オスロの新しい観光スポットとして誕生した。海に臨んで建っており、絶好の見晴らしだ。内部の建築も趣向を凝らしてあって、ずっと見ていても飽きない。オペラや劇場というと子供にはあまり縁のなさそうな場所だが、このオペラハウスはそのデザインの範囲で子供たちに遊び場を多く提供していた。なんと斬新なアイデアだろう。

2008-05-03

カール・ヨハン通り

先日潰えたかのように思われた研究のアイデアに再び光が差してきた。昨晩大学に遅くまで残って研究した後、地下鉄の駅に向かって歩いていたときだ。あることをふと思いついた。今まで受け入れたくなかった事実を受け入れることで、すべて辻褄が合う。急に魅力を帯びてきた仮説。数学をやっていて嬉しいのはこういう瞬間だと思う。まだまだチェックせねばならないことは山ほどあるけど、とりあえず精神的にだいぶ楽になった(私の場合こっから2転3転するから、まだ全然安心できない)。

今日はあまりにも天気が良いから午後からオスロの市街地に繰り出した。地下鉄Janebanetorget駅で降りてオスロ中央駅の側から歩き始める。駅から西に向かって伸びる通りがカール・ヨハン通りで街の中心かつ市民の憩いの場。王宮までの2kmほどの間にショッピングモールや劇場、美術館、オスロ大学など様々な見どころがある。通りを歩いてしばらくすると王宮が見えてきた。
王宮の周囲は芝生になっており、人々が横になってくつろいでいた。私も芝生に寝ころんで1時間くらい空を眺めて過ごした。写真は王宮の前に立っているスウェーデン王カール・ヨハンの銅像。頭の上の鳥がとってもチャーミングー!王宮から通りを眺めるとこんな感じ。衛兵さんもニッコリ。王宮の裏手にもこんな綺麗な公園が。その後Aker Bryggeで買物をしてから帰宅。

2008-05-02

サマースクール

お昼にR先生が訪ねて来られ、ご飯に誘って頂いた。食事の最中にサマースクールに申し込んだか聞かれる。申し込みの締切りは昨日だったようだ。しまった!申し込んでいない。でも大丈夫、まだ間に合うみたい。数学科のマネージャーのPさんの所にすぐ行けと指示を受ける。私が「Prof. Pxxxxxですね?あれ?でも数学科のトップはあなたなのでは?」と確認したらR先生は「彼は教授じゃなくて事務方(administration)のトップ。私は数学科全体の責任者だから彼のボス。でも面白いからProf. Pxxxxxxって呼びかけてごらん。すごく真面目な顔で呼びかけるんだよ(ニヤリ)。」...だって(^^)。彼はこういうイタズラが好きみたいだ。で結果はどうなったかというと、「Are you Prof. Pxxxxxx?」との質問に「Yes!」という返事が返ってきた。??。訂正するのも面倒くさかったのかもしれない。

サマースクールは「幾何学における群作用と表現論」について。来月半ばにノルウェー西岸の小さな町Nordfjordeidで行われる。リー群・リー環でお馴染みのSophus Lieの生誕の地であると同時にフィヨルド観光の町として有名らしい。私はリーがノルウェー人だったことを始めて知った。フィヨルドも見れて数学の勉強もできて一石二鳥かな?ノルウェーの数学者について少し調べてみた。アーベルはもちろんのこと、数論で有名なセルバーグもこの国の出身らしい。ノルウェーはアーベル賞を創設した国でもあるし、数学の伝統を大事にしている国だと思う。アーベル賞といえば、先日アーベル講演への招待状が届いた(写真)。今月21日はオスロ大学で開かれる受賞者による講演に行く予定だ。

2008-05-01

メーデー

って祝日だったのか。知らなかった。お金をおろすためにMajorstuenの銀行まで行って気がついた。中は真っ暗。人っ子一人いないし...。もしや?と思って犬の散歩中のお姉さんに聞いたら、教えてくれた。お店も開いているのはコンビニ(こちらにも日本と同じく7-11があるのです!)とファーストフードのみ。せっかく家を出てきたし、大学のあるBlindernに一駅戻る。一昨日Sognsvannを散歩中に得た研究のアイデアがあって、散歩中はワクワクしていたのだが、昨日紙に書いて整理していたら一部分どうしてもうまくいかないことがわかった。がっかりしたせいもあるけど、体が疲れてちょっと鬱。大学でもう一度考えてみたけど、本当に知りたい場合には新しいアイデアは適用できない。1時頃になってお腹も空いてきたし、食べるところもないので家に戻る。こういう時日本は便利でいいなあと思う。休日でもどこか食堂が開いているしね。コンビニで800円も出してまずいサンドイッチを買うよりは、家に帰って何か作った方がいい。地下鉄に乗って家に戻りキッチンをのぞいたらHi!Hiro!!!。BernardとMillicentの元気な声が聞こえた。来客がいておもてなしの最中。そういえば彼女は朝からキッチンで何やら本格的な料理を作っていたけどこの為だったのか。ランチに加わらないかとのお誘いを受け、お腹もペコペコで願ってもない状況だったのでご好意に甘えることにする。メニューは変わった種類のお芋と挽き肉のピリ辛ソース、魚のオーブン焼き、そしてトウモロコシをペースト状まですりつぶして作った団子。伝統的なガーナ料理らしい。中でも魚が私のお気に入り。ティラピアという名前の魚でアジアからアフリカにかけて生息するようだ。二人がスウェーデンに旅行中に購入したとのこと。ワインまでご馳走になり、会話も楽しんで気分がほぐれた。二人に感謝!